
自分の「ピン」が明確になれば
そこにたどり着けるんだと思ってた
「そこ」とは
「どこ」なのか
「それ」なのかも知らないから
知らないからこそ
妄想想像が膨らみ過ぎて
とてつもなく
素晴らしい
杜子春が追いかけたような物だと
憧れ続けていたけれど
どこかに辿りつくための
「ピン」な指針は
どこか素敵な場所にたどり着くための
行先を指し示すランプだと思っていた
だけど
実は
それそのものが
ゴールだった気がする
もうどこにも行く必要はなく
探しに出かける必要もなく
そこから
それから流れ出して来るものを
愛着のある庭の手入れをするような
暖かな
日常使いな感覚で
共に育って行けば
それで善し